「試されるステージ」
「試されるステージ」とは、まさにこの日のことでした。
爽やかな秋晴れを期待していた駅前イベントの野外ライブ。様々な事業者の方々が露店を出店し、賑わう中、私はメインステージでのPRライブを予定していました。
ところが、午後に入ると状況は一変。急に風が強まり、私たちのステージ設営は全くできない状況に追い込まれました。さらに大きな誤算は、音響スタッフがいるものと頼りにしていた場所に人影はなく、「この機材でやってね」と機材だけが寂しく置かれていたことです。音源再生は夫に頼む予定だったのでそこは問題なかったものの、事前の音響チェックは一切できず、返し(モニタースピーカー)もないため、前向きのスピーカーのみで音のバランスなんて分かりようがありません。風に流される音の計算など、もちろん不可能です。
音楽教室名を掲げるための譜面台は倒れ、配布用の名刺は飛びそうになり、ついには楽器に向かって譜面台が倒れてくる始末…。
こんな環境では「失敗しても仕方ない」と弱気になりがちです。しかし、どんなに予期せぬ事態が起きようとも、その環境の中で最高の音を届けるのが、私たち音楽家の仕事。この日のステージは、技術だけでなく、音楽家としての信念が問われる、まさに“試されるステージ”となったのです。
今回は、強風と音響トラブルの中で開催された野外ステージでの挑戦を通じて、私が改めて気づいた大切なことについてお話ししたいと思います。

強風ステージが教えてくれた「準備の質」と「家族の愛」
強風が吹き荒れ、音響のコントロールも利かないステージの中で、改めて痛感したのは**「準備の質」が本番の余裕を生む**ということです。
不幸中の幸いか、演奏曲はすべて暗譜(あんぷ:楽譜を見ずに演奏すること)していたため、楽譜がなくても演奏は可能でした。しかし、本来のステージで演奏するだけでなく、「どんな環境でも演奏できるか」という視点での準備が決定的に足りていなかったのです。演奏者紹介のための譜面台には野外用に重りが必要だった点や、舞台前設置予定の名刺が飛ばないための対策など、あらゆる可能性を想定する**“先読み”**の重要性を身をもって知ることとなりました。
そして、この試練のステージで、何よりも心に響いたのは家族のサポートでした。
元々、地べたに置いてお客様に取っていただく予定だった配布名刺。強風で一瞬にして飛ばされてしまうと判断した夫は、音源再生を担当したあと、すぐにお客様一人ひとりに声をかけ、丁寧に名刺を配ってくれました。また、主催者(ステージスタッフではなく)の方も、譜面台の足をガムテープで固定するなど、トラブル対応を手伝ってくださいました。
さらに、ステージの邪魔になるかも…と思っていた娘は、固定したはずの譜面台が再度強風で倒れると、一生懸命起こそうとしたり、落ちた小物を拾ったりと、小さな体で手伝ってくれたのです。
思い通りにいかない本番の中で、私は「失敗」ではなく、「不足していた準備」と「満たされていた愛」という、二つの大きな気づきを得ることができました。
風の音もざわめきもすべて音楽!私を突き動かす「自分の中の芯」

強風の中で、技術的な完璧さは失われたかもしれません。思うような音が出せない瞬間もありました。それでも、一度クラリネットを構えて音を出すと、やっぱり楽しい。その気持ちは揺るぎませんでした。
風の「ヒュー」という音も、観客席のざわめきも、すべてがその瞬間、その場所にしか存在しない“背景”となり、私が奏でる音楽を彩ってくれました。それは、計算された音響とは違う、“生きた音楽”の持つ力。
思い通りにいかない環境を「失敗」として終えるのではなく、それを乗り越えて音を届けたとき、改めて感じたのです。
どんなに環境が変わっても、音を出す喜びを届けたい。
この揺るぎない気持ちこそが、私の**「自分の中の芯」**であり、音楽家としての原点なんだと再確認できた、貴重な“試されるステージ”となりました。


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